IMA コラム
「続・あさひ山展望公園物語(完結編)」―見晴らしが丘のあるまちづくり―
昨年9月のコラム「あさひ山展望公園物語―街づくりは待ちづくり―」で、朝日山を残そうと計画した公園が、20年間の歳月をかけて昨春「あさひ山展望公園」として完成し、見晴らしの新名所になったことを紹介しました。「これを機会に当初の構想『飯能・自然の回廊』を実現させてみよう、最後の仕上げはハイキングルートづくり、回廊開通までもう少しお待ちください」と書いて話を終えましたが、今回はその続編で、その後の展開について紹介します。サブタイトルを「見晴らしが丘のあるまちづくり」とし、あさひ山構想からさらに10年遡った多摩ニュータウンの山の話も加えて、「見晴らしが丘三題噺」としてご報告します。「あさひ山展望公園物語」の完結編としてお読み下さい。 |
子供たちの笑顔のために
3月末に約1年、取り組んでいた学童保育所が竣工しました。以前、計画地には木造平屋建ての学童保育所が建っていたのですが、老朽化に伴い、施設の大型化・バリアフリー化を目的に建替えることになったのです。工事はその既存の建物を解体するところから始まったのですが、壊す前に建物の内部の床・壁・天井全てが、職員の方々の計らいで子供達の思いの丈を書き連ねるキャンバスとして、提供されていました。 そこには「いつも帰る場所 たけとんぼ」「いままでありがとう」 こんなにも子供たちに愛されていた建物を取り壊して、建替えるのだから、今まで以上に子供たちに喜んでもらえる建物にしなければ、と深く心に刻んだ出来事でした。 |
あさひ山展望公園物語―「街づくり」は「待ちづくり」―
これは、その時まではその日が歴史に残る衝撃の日になるとは誰も思っていなかった3月11日の朝に、埼玉県飯能市内のローカル紙が『あさひ山展望公園』がまもなく開園すること伝えた記事です。この公園は、飯能市南部で「ビッグヒルズ」と総称されるUR都市機構施行の開発三地区の一つ、南台第二地区の中にありますが、機構の前身の公団時代に関わった公園誕生前史を紹介しましょう。
南台第二地区が事業準備段階の20年も前の話ですが、地図に「朝日山」という名称と標高が記された地区内に盲腸のように張り出した小さな独立峰のような山があり、その山を残すか否かが議論になっていました。「山をカットして平坦地を増やし使い勝手の良い公園に!」vs[見晴らしの良い山を残して自分の住むまちを眺める丘の公園!] 前者の意見が優勢で、「朝日山」を残すためには、何か『永遠に残る理由づけ』が必要でしたが、地形図を眺めるうちに、入間川を挟んで対峙する天覧山・多峯主山と龍涯山・朝日山―四つの山を廻るハイキングルートを思いつき、当時万博をはじめ数々のビッグイベントを手がけておられた南條道昌さんに相談しました。
IMAアーカイブ-2(1986年編)
久しぶりに「IMAアーカイブ」を。今回は「弊社の顔」、M氏にインタビューします。1986年に竣工したアークヒルズについて語っていただきました。
Q1:M氏と言うと「アークヒルズ」からスタートされた印象があります。弊社にとっても初めての大規模な再開発だったと思いますが、どのような苦労がありましたか。
全然知らないんだなあ。僕がアークヒルズを担当したのは現場だけなんだよ。だから設計段階に関しては全然知らないんだよね。
えっ、そうなんですか!企画が流れそうなんですが…。気を取り直して進めます。まずは苦労話からお願いします。(笑)現場はどのような感じでしたか。
限られた時間内で施主、施工者、他の設計者との調整をしていたから本当に大変だったよ。とにかく変更が多くてかなりの時間を設計変更に費やしたね。設計段階の詳細図はほとんど使い物にならなかった。設計しながら作っていたという感じだったよ。
Q2:現場ではどういう担当でしたか。
僕は高層部の内装担当だったから、建具や内装材の納まりは特に気を使ったね。主だった建具の納まりは今でも覚えているよ。
Q3:アークヒルズで最も気に入っているところはどこですか。
僕はアークヒルズを「仕立ての良いオーソドックスなジャケット」だと思っているんだ。当時はポストモダン全盛期だったけれど、この建物には派手さはなく非常にシンプルだよね。今ポストモダンの建物を見ると古さを感じてしまうけれど、アークヒルズにはそうした古さは感じないと思うんだ。そうした「時を経ても古びない上質さ」が気に入っているんだ。
そして当時は小さかったみどりも大きくなり周辺環境が整ってきて、足元は居心地の良いヒューマンスケールな「街」になっていることも上質さを加えていると思うね。
今様倉庫建築
我々の事務所では多くのジャンルの建築を手がけています。
中でも倉庫は合理性、機能性を最も求められる建物のプロトタイプです。昔から穀物や宝物などを収めるための重要な役割を持ち、その荷物を風雨や外敵から守り安全に保管するための建物です。そのための工夫が建物の特徴となっていました。
弥生時代の高床式倉庫は穀物を蓄えるための倉として用いられ、風雨害虫から守るために高床式となっており、周囲の建物からすればランドマークのように見えたことでしょう。
正倉院は奈良・平安時代中央・地方の官庁や大寺の重要物品を納める倉院として建てられました。木材を積み重ねた壁(校倉造り)は木の乾燥収縮を利用した調湿効果があったとも言われており、際立った存在感があったと思います。
「建物も 街も味わう 視察行」
当事務所では、設計した建物が竣工した際、若手を中心に見学行き、次の設計に生かしていくという良き伝統が続いています。ただ、都内や国内の建物ならともかく、海外の建物となるとそう簡単にはいきません。このたび、昨年竣工した上海の超高層「上海環球金融中心」を是非見学したいという声があがり、有志をつのり格安ツアーを選んで行ってきました。今日はその報告の第一弾です。中国東方航空機で上海浦東空港に着いた一行18名。外灘のホテルにチェックイン後、直ちに浦東地区の超高層エリアへ。そこは未来都市さながらの景観で、その中でもひときわ高い建物が本日の目的地です。
鉄筋とコンクリート 奇跡の組み合わせ
学生時代にある教授がとても熱心に語ってくれた鉄筋コンクリートにまつわるお話を紹介したいと思います。
鉄筋コンクリートとは鉄筋とコンクリート(セメントと砂利等を混ぜたもの)のことであり、私たちの事務所でも数多くの鉄筋コンクリート造建物の設計を行ってきております。
コンクリートの主成分であるセメントの歴史は古く、紀元前の頃から利用されてきましが、鉄筋コンクリートが歴史に出てきたのは19世紀後半頃で、レンガや木に比べると新参者の構造体なのです。ちなみにヨーロッパの植木職人がセメントで植木鉢を作る際、針金で補強したのが鉄筋コンクリートの最初と言われている。
そんな新参者の鉄筋コンクリートが主要な構造形式になった要因は扱いやすさもさることながら、コンクリートと鉄筋の相性の良さにあると教授はおっしゃっていました。
「もともとコンクリートは圧縮力には強いが引張力に弱い特性があり、鉄筋は引張力に強いが圧縮力を受けるとすぐに曲がってしまう。それぞれの弱点を鉄筋とコンクリート組み合わせることで相互補完しているのです。」
「通常なら異なる材料を組み合わせた場合、性質の違いで上手くいかない場合が多いのですが、鉄筋とコンクリートは熱膨張率がほぼ等しいため、組み合わせることが可能となっているのです。」
「さらに、この組み合わせは錆びやすい鉄筋をアルカリ性のセメントで覆うことになるため防錆効果が得られているのです。」「こんなにも相性の良い鉄筋コンクリートは奇跡の組み合わせであり、これを考えた人は天才です」
この話を聞く前、私にとって鉄筋とコンクリートの組み合わせは当たり前でしたが、こんなにも凄い組み合わせだと知り、鉄筋コンクリートが特別なもののように感じてしまいました。
皆さんの身の回りの当たり前の組み合わせが実は凄いものだったりするかもしれませんよ。
(ling)