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IMA コラム

「続・あさひ山展望公園物語(完結編)」―見晴らしが丘のあるまちづくり―

カテゴリ: 建築デザイン 作成日:2012年06月11日(月)

昨年9月のコラム「あさひ山展望公園物語―街づくりは待ちづくり―」で、朝日山を残そうと計画した公園が、20年間の歳月をかけて昨春「あさひ山展望公園」として完成し、見晴らしの新名所になったことを紹介しました。「これを機会に当初の構想『飯能・自然の回廊』を実現させてみよう、最後の仕上げはハイキングルートづくり、回廊開通までもう少しお待ちください」と書いて話を終えましたが、今回はその続編で、その後の展開について紹介します。サブタイトルを「見晴らしが丘のあるまちづくり」とし、あさひ山構想からさらに10年遡った多摩ニュータウンの山の話も加えて、「見晴らしが丘三題噺」としてご報告します。「あさひ山展望公園物語」の完結編としてお読み下さい。

 

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1.電光石火の如く誕生 見晴らしが丘1号「鶴牧山」

「あさひ山展望公園」は、完成するまで20年間も待ち続けましたが、対照的に「瞬く間に出来上がった山」がある公園が多摩ニュータウンにあります。「あさひ山」と同じく近隣公園の中にあり、私にとって「見晴らしが丘」づくりの原点になった鶴牧東公園にある人工の山「鶴牧山」の話を、最初に紹介しようと思います。
今から30年前の多摩ニュータウン、多摩センター駅が開業したばかりで、愈々これからニュータウンの中心部・センターゾーンの建設に取り掛かろうとしていた時代です。1981年にはニュータウン事業開始15周年・入居開始10周年の記念イベント「多摩フェア81」がセンターゾーンで開催され、そのパンフレットの表紙には「新たなふるさとづくり」というキャプションが書かれています。時代先取りの実験都市づくりを進めながらも、ニュータウンで生まれ育った子供たちが将来この町を故郷と呼べるようなまちづくり=新たなふるさとづくり、そんな思いがまちのつくり手に芽生え始めた時代でもありました。

 

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センターゾーンの早期建設が期待され、隣接する住宅地は1982年春のまちびらきを目指していましたが、膨大な造成土量を処理する盛土場所がなく、インフラ工事の進捗が懸念されていました。
そんな状況を打開する方策として考えたのが、近隣公園(鶴牧東公園)に計画されていた広場に盛土して人工の山を造る提案です。子供たちが生まれ育ったふるさとのまちを眺める小高い場所をニュータウンに造るという「見晴らしが丘プロジェクト(?)」は、至上命令だったまちびらき実現を口実にしてスタートしました。プランを描く時間さえ惜しむかのように盛土工事が進捗し、鶴牧東公園の中に「鶴牧山」が誕生、無事にまちびらきを迎えたのです。

「あさひ山」と同じく近隣公園の中の山ですが、こちらは人工の山、山頂からは、ふもとに拡がるタウンハウスの甍の海の向こうに、ふるさとのまち多摩ニュータウンの姿を眺めることが出来ます。
「見晴らしが丘」のあるまちづくり、その後も丘陵地開発の地区を渡り歩きながら、いつもそんな想いを抱き続けていました。

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2.初日の出参拝に集う 見晴らしが丘2号「あさひ山」

多摩ニュータウンを離れて8年、飯能ビッグヒルズ(約300ha)と総称される都市再生機構(UR)施行三地区の一つ、事業着手前の飯能南台第二地区で、私は「朝日山」にめぐりあいました。昨年のコラムでは、この山を残すために天覧山―多峯主山―龍崖山―朝日山の四つの山を廻る『飯能・自然の回廊』構想をつくり、20年の歳月を経て朝日山が「あさひ山展望公園」の中に生まれ変わるまでのいきさつを紹介しました。
写真は今年の元日、初日の出を拝みに多くの人が集まった「あさひ山」山頂の風景です。昨年4月の開園以来、公園名が示すように天気の良い日には秩父山系はもとより富士山・東京スカイツリーも望める見晴らしの新名所になっています。
『飯能・自然の回廊』の開通に向けて、最後の仕上げはハイキングルートづくり、昨年11月から、URワンダーフォーゲル同好会の有志でルート探索調査をを開始しました。

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3.遊びごころで総仕上げ 見晴らしが丘3号「燧山」

龍崖山と朝日山を結ぶ回廊ルートは、飯能ビッグヒルズの北側境界沿に計画されていますが、三地区の中で面積最大で現在も区画整理事業が施工中の大河原地区の尾根を通る龍崖山寄りのルートには鮮明な既存の山道がない個所があります。探索調査ではこの区間のルートを整備するため、道なき樹林地にはステップを切るなどし、迷わず歩けるルートづくりを目指しました。大規模施設の立地を目指して開発を進めてきた大河原地区には、急峻な地形を造成した丘陵地開発とは信じがたいような広大な大平原が出現し、工場誘致の活動が続けられています。
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最初の探索調査の日は雨でした。ルートの途中に大河原地区を見渡せるピークがありますが、見下ろした大平原には雨が溜まって靄がかかり、まるで尾瀬ヶ原の湿原を見るようでした。「おぜがはら」と見間違うがごとき「おおがはら(大河原)」を見下ろしたピークの標高は234.2m、尾瀬ヶ原を見下ろす燧岳(2346m)の1/10という縁に因んで、この見晴らしが丘を「燧山」と名づけました。これからこの一帯ではUR都市機構の緑地整備が行われます。整備完了後に『飯能・自然の回廊』を歩くハイカー達は、「燧山」の山頂に立ってそんな洒落心に気づいてくれるでしょうか。


「まちを眺める場所」と問われると、超高層の最上階のラウンジ等を思い浮かべる人が多いことでしょう。「時空を超えたランドスケープ」を謳うタワーブームが拍車をかけているのかもしれません。しかし緑の中を散策し眺望に恵まれた「見晴らしが丘」の頂に立って見渡すまちの眺めには、また別の趣きがあります。額に汗して自らの足で丘の頂に立ち、周りの街の風景を静かに眺めてふるさとのまちづくりをイメージする、「ヒューマンスケールな意識を持ったランドスケーププランナー」は、そんな行為の繰り返しによって生まれると私は常々思っています。
郊外開発の時代は終わったと云われて久しく、企業の誘致活動も苦心の日々が続きましたが、震災後の高台移転の議論のせいでしょうか、丘のまちに少し暖かい風が吹き始めたようで、大河原地区の工場誘致にも動きが出始めました。「燧山」の山頂から眺めるグリーンフロントの工場のまちには、昔の「キューポラのある街」のように元気に働くひとの姿が見える、ヒューマンスケールな風景が似合うかもなどと考えながら、URの誘致活動を支援しています。
「街を想えば山恋し 山を想えば人恋し」                   

(見晴らしが丘工房 囲炉夢)