IMA コラム
法隆寺収蔵庫 限定公開 内覧記
「法隆寺地域と仏教建造物」として世界遺産に登録された 目的は1949年法隆寺金堂の火災により焼損した壁画を 火災後かろうじて焼け残った内部架構と焼損壁画12枚を |
1952年当社創業者の入江雄太郎の設計により境内の一画に竣工しました。
また、現在施行されている「文化財保護法」はこの火災を契機に成立したものです。
(竣工当初の収蔵庫→現在の収蔵庫)
現在の金堂の内部をご覧になった方は、金網越しにその中の壁画を見たことと思いますが、
そこにある壁画は名だたる画家たちによりに精密に模写されたもので、
飛鳥時代からの本来の壁画はすべてこの収蔵庫にひっそりと眠っているのです。
前室にて少人数にまとめられ、荷物を預け、靴カバーを装着し会話も控えるよう説明を受け、
向かって左側前室から中に入りました。室内にいたのは20分弱だったでしょうか。
焼け焦げた柱に囲まれてモノクロームの世界が広がり、70年の時代を経て静かに私たちに語りかけてくれました。
収蔵庫内部の説明図(法隆寺パンフレットより)
事の発端は、数年前立命館大学の青柳先生より朝日新聞のシンポジウムで取り上げる法隆寺の焼損壁画について、
美術・環境・建築等に分かれて研究し、建築分野について担当する、ついてはそれを収蔵した建物について
論文を表したいが御社に資料はあるのでしょうかという質問からでした。
早速資料をひもとき当時の写真と資料を送り、何回かのシンポジウムを経て今年春、
彰国社の「ディテール」228号に論文が掲載されました。
金堂焼損壁画(法隆寺パンフより)
入口バルコニーには左右二体の金剛力士像(石膏模型)を据え、
寄棟に切妻を架した独特の屋根は金堂の内陣がすっぽりと収まるように設計されており、
2階には廊下を巡らせ柱の頂部を繋ぐ一方、上からの見学にも適した構成となっております。
中に入ると焦げたにおいがほのかに香り12面壁画たちがそのままの位置で静かにたたずんでいます。
欄間部分にはかすかに「飛天図」も認めることができました。
内部はもちろん撮影禁止なので、その詳細は上図によりますが、
最後にこのパンフレット表紙となった焼損壁画の前で合掌する
佐伯貫主の姿を載せこの稿のまとめとしたいと思います。
合掌
焼損時の壁画(法隆寺パンフより)
(風琴子)