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Vol.08「アーバンラボ」の2016年

カテゴリ: 都市 作成日:2016年03月30日(水)

―土地の記憶と都市の形成、国内外での持続的な活動体制づくり―

 

入江三宅設計事務所のホームページに「URBAN Lab.」が開設されたのが2012年春、開設にあたってのコメント はじめに…「都市づくり研究所」発信には、「建築物単体の寿命に比べ、都市の営みは長く遠大で、それにかかわる関係者にも息の長い取り組み方が求められます。関わるフェーズも骨格から枝葉まで様々な場面があり、その中にあっても、常に全体を見据える眼をもちながら情報発信していきたいと考えています。」と書かれています。

2011年3月11日の東日本大震災から1年を迎えようとしていた2012年2月、東北の被災地で復興計画づくりに取り組んでいる都市計画コンサルタントが集まって「復興都市研究会」(事務局;昭和(株))の活動が始まりました。そして2012年3月に来日したミャンマー連邦共和国の建設省視察団を多摩ニュータウンと筑波研究学園都市に現地案内したことがきっかけになり、案内スタッフが中心になって立ち上げた「二都物語研究会」(事務局;URリンケージ+入江三宅設計事務所)が9月から活動開始、「URBAN Lab.」は、この二つの研究会での活動を中心に情報発信してきました。

Vol.07「二都物語研究会」の課外活動

カテゴリ: 都市 作成日:2015年06月15日(月)

アーバンラボVol.04の、「二つの研究会」の取り組みー2013年のステップアップに向けてー で「復興都市研究会」と「二都物語研究会」の活動を紹介し、「復興都市研究会」についてはVol.05の「避難路を兼ねた災害公営住宅」石巻日和山での一試案?でも、その後の展開を紹介しましたが、「二都物語研究会」については報告する機会がなく過ぎてしまいました。

Vol.06公的住宅供給の変遷と入江三宅設計事務所の仕事

カテゴリ: 都市 作成日:2015年01月20日(火)

はじめに

戦後の絶対的な住宅不足対処するための住宅政策を進めるため、1951年に公営住宅法が制定され、戦後10年目の1955年に日本住宅公団が設立された。戦後間もない昭和22年(1947)、岐阜で発祥した入江三宅設計事務所(所長;入江雄太郎)は、昭和33年(1958)に東京事務所(東京事務所長;三宅晋)を設けた。

日本住宅公団設立から60年、現在のUR都市再生機構に至るまで、日本の公的住宅の供給は時代の要請に応えて大きくその姿を変えてきた。「入江三宅」も現在に至るまで時代を共有し、多くの公的住宅=「公団」の集合住宅の設計に携わってきた。その仕事を年代を追って紹介しながら、公的住宅供給の変遷を辿ってみる。

 

公団黎明期の市街地住宅(1960年代)

時代は東京オリンピック前夜の高度成長経済移行期、インフラの整備とともに多くの住宅が求められた。土地所有者の上に公団の建物を建てる市街地住宅は青山通り拡幅に伴う「青山北町第一市街地住宅」(1961)や「青山南街第二市街地住宅」(1962)をはじめ「芝海岸通り」(1964)「西大久保二丁目」(1967)など多くの高層建築の設計を委託された。

Vol.05「避難路を兼ねた災害公営住宅」

カテゴリ: 都市 作成日:2013年12月09日(月)

今回のレポートは「区画整理士会報9月号」に掲載された復興都市研究会の成果の一部です。執筆者を代表者名としていますが、メンバーの分担により執筆したものです。

はじめに

東日本大震災の後、都市づくりに関係する数社の有志が集まり、被災地の課題を対象に研究会を催し現在に至っている。ここに紹介する試案は、所属メンバーが関わる石巻市の復興をテーマに研究会としての提案を作成し、現地関係者にヒアリングを試みているものである。
石巻市は中心市街地沿岸部も津波により被災し甚大な被害を受けた都市の一つである。

Vol.04「二つの研究会」の取り組み

カテゴリ: 都市 作成日:2013年02月08日(金)

2013年のステップアップに向けて

アーバンラボのVol.01・02で紹介した「高台住宅地と結ぶ立体防災拠点の開発研究」と「開発途上国に役立つ日本の二大新都市開発プロジェクトの研究」の昨年末までの活動状況について、今後の方向性・展開見通しに触れながら報告したいと思います。

前者の研究は「復興都市研究会」(事務局;昭和(株))に参画して取り組んでいることをVol.01で紹介しましたが、後者についても(株)URリンケージと(株)入江三宅設計事務所が事務局になって研究会を立ち上げて取り組んでいます。Vol.02に、昨年3月に来日したミャンマーの建設省視察団を「筑波研究学園都市」と「多摩ニュータウン」に案内した際、視察メンバーに渡したパンフレット風の案内資料のタイトルを『二都物語』としたことが書いてありますが、その資料の作成・案内に係わったメンバーを中心に組織した研究会なので「二都物語研究会」という名称にしました。知らない人が聞くとディケンズの「二都物語」を思い浮かべて英国文学研究会かと思うかもしれませんが、ここでの二都は「つくば」と「多摩」、二つの新都市開発プロジェクトのスタートから現在までのあゆみと国土形成に果たした役割を検証しながら、これからのミャンマーの国土づくりに役立つ先導的な開発プロジェクトを提案して、息の長い技術協力をしようと集まった研究会です。
二つの研究会の2012年の最終研究会が、それぞれ12月11日・18日に開催されましたので、今回はその時の議論を中心に報告します。

Vol03.四都物語 カナダの四都市にみる再開発実例

カテゴリ: 都市 作成日:2012年10月29日(月)

国旗に赤のメープルの葉が描かれている国カナダは、これから最高の紅葉の季節を迎える。厳しく長い冬を迎える前のひと時に、海外住宅・都市開発事情視察団の一員としてカナダを訪れたのは去年の秋のことであった。東海岸で3都市、そして西海岸の1都市である。

紅葉した街路樹に彩られた舗道を歩きながら、ヨーロッパに比べるとはるかに浅い歴史にもかかわらず、街の個性を作り上げてきた人々の営みに思いを馳せ、この国の街づくりを考えてみた。題してカナダ「四都物語」である。

Vol.02「開発途上国に役立つ日本の二大新都市開発プロジェクトの研究」

カテゴリ: 都市 作成日:2012年07月19日(木)

―開発途上国の国土づくりに役立つという新たな視点に立って
「多摩ニュータウン」と「筑波研究学園都市」を総括します―

 

情報化社会が世界の隅々にまで浸透し、「アラブの春」に象徴される民主化要求運動が情報化の波に乗って世界に伝播していますが、長年に亙る民主化運動が続いていたミャンマーでも、民主化に向けて経済制裁の解除が進み、国際社会への復帰を期待する報道が日増しに紙面を賑わせています。そんな中で、今年の3月4日から9日、ミャンマー連邦共和国の建設省副大臣はじめ7名の視察団が来日し、入江三宅設計事務所は国連ハビタット福岡本部ともに視察地の案内役等を務めました。

3月6・7日の二日間は、日本の代表的な新都市開発プロジェクトである「筑波研究学園都市(面積;約2,700ha 計画人口;10万人)」と「多摩ニュータウン(面積;約3,000ha 計画人口;30万人)」を案内しましたが、二つのプロジェクトのあゆみをまとめ『二都物語』と名づけたパンフレット風の参考資料を視察メンバーに渡しました。同時進行で取り組んだ性格が異なる二つの新都市開発のスタートから現在までのあゆみを、世の中の出来事を思い起こしながら辿ったもので、国の民主化と経済の成長・国民生活の向上を目指して国土の開発に取り組もうとしているミャンマーの姿を、日本が戦後復興期から経済成長期に向かった時代に重ね合わせ、サブタイトルには「開発途上国に役立つ日本の二大新都市開発プロジェクト」と謳ってあります。

この研究はサブタイトルに込めた思いをさらに深め、開発途上国の国づくりに本当に役立つ日本の技術協力を追及しようとするものです。『二都物語』の中の年表「新都市開発プロジェクトのあゆみ」で、「多摩ニュータウン」と「筑波研究学園都市」の事業の流れについてその概略を辿りながら、今後の取り組みについて解説します。

都市づくり研究所 Debut!

カテゴリ: 都市 作成日:2012年02月27日(月)

当事務所は昭和22年に創業し、都内、首都圏で多くの建物設計の実績を重ねてきました。
その中心はオフィスビルや複合ビルですが、一方で日本住宅公団(現在のUR都市再生機構)とはその創立時から、市街地住宅、団地開発、そして再開発へと様々な形のプロジェクトを担当してきました。その50年の流れを表したのが下に示す年表で、多くの専門家と協働して「都市づくり」に寄与してきた歴史があります。

 

Vol.01 高台住宅地と結ぶ立体防災拠点施設の開発研究

カテゴリ: 都市 作成日:2012年02月16日(木)

―復興都市のまちづくりを先導するモデルプロジェクトとして

「立体都市公園制度」を活用した防災拠点施設の開発研究に取り組みます―

 

東日本大震災以降、復興計画として住宅地の高台移転が多くの人によって語られ、津浪で大きな被害を受けた低地部から高台への集団移住を発想すること自然であり、確実な手段であると受けとめられてきました。移転先用地の確保のための丘陵地開発適地の選定も行われようとしています。しかし生産活動・経済活動の中心が低地部に持続的に形成されるとすれば、経済的基盤の確保なしに丘陵地の開発が先行するのは課題が多いと思われます。

2011年8月4日付「毎日新聞」の夕刊に、少し気になる二つ記事が文化欄に並んで載っていました。それは高台移転の難しさを考察した「津波と村」の複刊を紹介しながら柳田国男の視点から「何をもって復興とするか」と問いかける石井正巳氏の記事と、建築家原広司がアクティビティ・コンターと名づけた活動等高線を無視して物理的等高線だけで都市を創ってはならないと書いた鈴木博之氏の「等高線の思想」という記事です。

この記事に書かれている両氏の指摘は至極自然で的を射ていると思います。被災者の生活の安全確保を最優先に、津波から守られた高台移転を進めるとしても、生産・経済活動の再開が急がれる低地部の防災インフラ整備を並行かつ一体的に進める必要があります。日本の都市開発には、丘陵地開発の長い歴史がありますが、今こそ「丘のまちづくり」で培った等高線を動かす技術で、丘陵地から低地に連なる拡がりを持った現実の地形を、両氏が指摘する視座に立って見直してみましょう。丘陵地と低地部を分離することなく、連続性を強化して一体化した防災都市づくりに取り組むべきと考えます。

当社が参画している「復興都市研究会」(事務局;昭和株式会社)では、高台住宅地と日常的な都市活動の場を結ぶ結節点周辺を、日常的な防災活動と緊急時の情報発信の中心となる防災拠点・地域交流ゾーンとして先導的に整備することを提案し、復興都市づくりモデルプロジェクトとして「高台住宅地と結ぶ立体防災拠点施設の開発研究」に取り組んでいます

この研究は、UR都市機構の多摩ニュータウンの再生調査で、㈱都市設計工房の作業に協力して当社が提案した「丘の上にある団地の玄関口でのまちのバリアフリー化を推進する施設建設計画」をベースにしていますので、本稿ではその概要と提案のヒントになった「立体都市公園制度」について説明し、「復興都市研究会」の現在の取り組み状況について報告します。