IMA コラム
Vol.08「アーバンラボ」の2016年
―土地の記憶と都市の形成、国内外での持続的な活動体制づくり―
入江三宅設計事務所のホームページに「URBAN Lab.」が開設されたのが2012年春、開設にあたってのコメント はじめに…「都市づくり研究所」発信には、「建築物単体の寿命に比べ、都市の営みは長く遠大で、それにかかわる関係者にも息の長い取り組み方が求められます。関わるフェーズも骨格から枝葉まで様々な場面があり、その中にあっても、常に全体を見据える眼をもちながら情報発信していきたいと考えています。」と書かれています。
2011年3月11日の東日本大震災から1年を迎えようとしていた2012年2月、東北の被災地で復興計画づくりに取り組んでいる都市計画コンサルタントが集まって「復興都市研究会」(事務局;昭和(株))の活動が始まりました。そして2012年3月に来日したミャンマー連邦共和国の建設省視察団を多摩ニュータウンと筑波研究学園都市に現地案内したことがきっかけになり、案内スタッフが中心になって立ち上げた「二都物語研究会」(事務局;URリンケージ+入江三宅設計事務所)が9月から活動開始、「URBAN Lab.」は、この二つの研究会での活動を中心に情報発信してきました。
「URBAN Lab.」の開設から4年が過ぎ5年目に突入です。最初の研究報告Vol.01と前回の報告Vol.07を並べて読み較べ今迄の活動経過を思い起こしながら、今回のVol.08では「アーバンラボ」の2016年と題して、二つの研究会のこれからを考えてみたいと思います。
Vol.01の研究報告は「高台住宅地と結ぶ立体防災拠点の開発研究」です。「復興都市研」のスタート時は、津浪で大きな被害を受けた低地部から高台への集団移転が盛んに言われていたことから、丘陵地ニュータウン再生でのまちのバリアフリー計画の経験を生かして取り組んでみようと、立体都市公園制度を活用した地域開放型施設を住宅と一体に計画し、高台と低地部と連続性を強化した一体的な防災まちづくりを提案しました。この提案は、2011年8月4日の「毎日新聞」に並んで載っていた二つ記事から話を展開しています。(文末に新聞記事のコピーも載せています)
☆柳田国男の物質の復興だけでは精神の復興にならないという視点から、高台移転の難しさを考察した「津波と村」(山口弥一郎)の複刊を紹介しながら、震災に対する緊張感を失い早くも忘却が始まっているのならばたいへん危険なことと警鐘を鳴らした石井正巳氏の「何をもって復興とするか」と問いかける記事と、★建築家原広司が地形をかたちづくる等高線と別にアクティビティ・コンターと名づけた活動等高線を都市分析に用いていたことを紹介し、整備された新しい物理的等高線にそれぞれの都市が形成してきた歴史的な活動等高線を重ね合わせて未来の都市像を形成すべきだと書いた鈴木博之氏の「等高線の思想」という記事です。
震災5か月後に2つ並んで載った記事での二人の主張は、震災から5年が過ぎようとしている今まさに現実のものになっていると思われます。高台の集団移転住宅の建設も低地部の防災インフラ整備も、被災した人たちのために一日も早く進めたい、復興の仕事に携わっている人はもとより、日本中の誰もがそう考えていました。しかし復興はまだまだ途半ばです。防潮堤の整備も職住分離も色々な課題を抱えていますし、仮設住宅から災害公営住宅への移転への不安、高齢化、孤独死、人口減少、そして出口の見えないフクシマ原発問題を抱えています。津波は天災だが原発は人災、自然と向き合いながらの被災地での営みを見守り続けなくてはなりません。
現実の都市がつくり上げて来た活動等高線を無視してはならないと語りかけた鈴木博之氏は、この記事が載って2年半後の昨年2月に亡くなられました。建築史家の第1人者として、追悼記事は東京駅の復元から新国立競技場のザハ案まで多彩な足跡を伝えていました。
鈴木さんには1990年に発刊した「東京の地霊(ゲニウス・ロキ)」という不思議な魅力を持った名著があります。追悼の気持ちでこの本を読み返し、不思議な魅力(霊力)に触れながら2016年の「復興都市研」の活動を考えてみようと思います。
この本のまえがきは「東京の現在は、明治維新以来の首都変貌の歴史の、ひとつの終局を迎えつつあるように思う。」に始まり、「土地には固有の可能性が秘められている。その可能性の軌跡が都市をつくり出してゆく。都市の歴史は土地の歴史である。…土地の歴史という視点は、『地霊』という概念に、あるところまでゆくと突き当たる。」ことを伝え、「単なる土地の物理的な形状に由来する可能性だけでなく、その土地のもつ文化的・歴史的・社会的な背景と性格を読み解く…そうした全体的な視野をもつことが、地霊に対して目を開く」と、「目に見えない潜在的構造を解読しようという潜在的な概念」の必要性を訴えて、「私は東京の近代を読み解くための方法のひとつを手に入れた」という言葉で終わっています。
この本で、都市⇔土地⇔地霊について解説しているのはこの「まえがき」と「後記」だけで、それ以外のすべてのページは、東京の13の土地をめぐる話が章立てで取り上げられていきます。「知性派向けの街歩きガイドブック」のような雰囲気です。今読んでみて、鈴木さんはこの本を書くのを楽しんでいたような気がします。13の土地はすべて東京の都心部の土地ですが、もし今も生きておられたら、東京郊外の都市、地方都市そして海外の都市へと続きを書かれていたかもしれない。そんな気がします。
「復興都市研」はその後「避難路を兼ねた災害公営住宅」を提案し、石巻日和山でモデルスタディを行った試案を「区画整理士会報」に掲載したことをVol.05で報告しましたが、次の取り組みテーマを何にするかについては皆で思案中でした。消したい記憶・遺構として残したい記憶、柳田国男の視点「精神の復興」の大切さが今また伝えられる復興途半ばの東北の被災地、国土の安全に向けた取り組みを始めた地方都市、震災をめぐる問題意識は「南海トラフ」「首都圏直下型」…国土の防災計画へと拡がっています。
|
上の写真は2016年度の活動開始に向けて、3月2日の研究会でメンバーの萩野一彦さんが「地域の自然立地・歴史文化を基本に据えたランドスケープの発想が必要」と提案したパンフ。「復興都市研」は、「東京の地霊」のまえがきにあるような土地の歴史という視点と全体的な視野をもって東北の復興を見守り、国土の防災計画を考えた研究会活動を続けていきます。そしてもう一つの研究会「二都研」は、前回Vol.07の「二都物語研究会」の課外活動で、長期的・広域的視点へのコダワリを持続させながら実践的なミャンマーの国土形成シナリオづくりについて議論を重ね、J-CODE、JICAなどの最新情報をもとに、UR都市機構+URリンケージチームと日本開発構想研究所+入江三宅設計事務所チームが交代で各回のテーマを決めて活動を続けていること、ヤンゴン周辺だけでなく地方州・辺境の地での課外活動についても話題にしていることをお伝えしました。写真右は辺境の地チン州のナマタン国立公園での活動「Mt.VICTORIA PJ.」第3次調査隊(2015.11.16~22)が作成したルート調査の案内図です。「二都研」は、目的を共有できる団体とのネットワークづくりに力を注ぎ、国内外での持続的な活動を行う体制の確立を目指しています。
「URBAN Lab.」「都市づくり研究所」発信には、「現在社会から求められている都市計画・再開発・街づくりに関するテーマを題材に、研究の進捗に応じて随時発信」とも書かれていて、二つの研究会の報告だけでなくVol.06では「公的住宅供給の変遷と入江三宅設計事務所の仕事」という報告も載せています。「いま社会から求められているのはこれでは!」…思い入れのある個人レポート(若者歓迎!)がありましたら、ぜひ都市づくり研究所・宇塚までお寄せください。
ところで、「東京の地霊(ゲニウス・ロキ)」について「知性派向けの街歩きガイドブック」のような雰囲気と書きましたが、13の土地をめぐる話の第1章が六本木1丁目の林野庁宿舎跡地で「民活第1号の土地にまつわる薄幸」という題で始まり皇女和宮まで登場します。六本木1丁目の古地図が載っていて御組坂・三年坂・行合坂など坂の名は今もそのままです。気が向いた時に、このガイドブックを手にして六本木交差点から東京タワーが見える方向に向かって「街歩き」に出かけてみてください。「地霊」の導きで「思い入れのある個人レポート」が書き上がる場所に行きつくかもしれません
(都市づくり研究所)