IMA コラム
日本の「タウン」は「まち」ですが、ミャンマー語では「山」なんです。
ミャンマーでの当社の最初のプロジェクトであるヤンゴンのオフィス街での超高層ビル設計は、ヤンゴン都心部の「まちづくり」をリードする役割も担った仕事です。また、長期的・広域的視点に立ってミャンマーの国土全域の均衡ある発展を目指した国土形成シナリオづくりについて、2番目のプロジェクトとして都市づくり研究所で取り組んでいます。(「二都物語研究会」の活動としてアーバンラボVol.2・Vol.4で報告) |
大韓航空ソウル経由で深夜ヤンゴンに着きホテルで仮眠。早朝のヤンゴン航空の国内便でバガンへ
(左下)の写真はバガンのニャンウー空港。
(右下)パジェロの中古車3台に分乗し悪路8時間チン州へ向かう。
(左下)マグェ管区アイジー村の食堂 ほぼ中間点で外国人旅行者が立ち寄る。
(右下)ビクトリア登山のベースになるカンペレッ村のパインウッドビラ泊。
登山口で、JICAの草の根技術協力を現地で行っているアースウォッチジャパンの安田重雄さんと会う 最近ナショナルパークの中に山の頂上付近を抜ける車の道が造られてしまったことを嘆いておられたが さらに奥にある集落の村人が使う生活路でもあり難しい問題。
標高3053mの三角点のあるピークから見たパゴダのあるピーク 日本の3000m級の山とは全く雰囲気が違う。
(左下)車の道が出来たおかげで(?)中国製のバイクで山頂に来て楽しんでいるミャンマーの若者たち。
(右下)再びパジェロの旅でバガンへ戻る。途中竹を積んだ車と何度かすれ違う。
一日だけの観光バガンの遺跡めぐり。幾つか見たパゴダの中でアーナンダ寺院
片側にしか手すりのない階段は山よりずっと危険な感じ。一日だけの観光バガンの遺跡めぐり。幾つか見たパゴダの中でアーナンダ寺院残念ながら曇ってきて夕焼けにはなりませんでしたがヤンゴン空港近くでの最後の晩餐、左端は山にも同行してくれたツアーガイドのウィメンティさん、中央は日本ミャンマー協会ヤンゴン事務所のテッセインさん、学生時代にビクトリア山登山の経験があり、今回一緒に登る予定でしたが、日本からの視察団の仕事が入って行けなくなり、レストランに駆けつけてくれました。どちらもこれからの「MT.VICTORIA PROJECT」の大切な協力者です。(右端は20年前に一緒にキリマンジャロに登ったワンゲル仲間の江頭さん)
ミャンマーのサンダルは公式行事もOKです。私も現地で買って過ごしました。
「MT.VICTORIA PROJECT」に関心を持たれた方、いつでも声をかけてください。
詳しくご説明します。写真も沢山あります。
(見晴らしが丘工房 囲炉夢)